*画像は今はなきサカマガ増刊号・選手名鑑より

今見ると凄いの面子だ。
三浦知良・パク・チソン・遠藤保仁・松井大輔
カズ以外の3人は、まだ20歳ちょとの頃だった。
それでも3人とも結構試合に出ていた。
(00年の選手名鑑を持ってるけどパクは載ってなかった。途中加入だった?)
カズは17得点し、遠藤も5得点といい感じだが・・・
何故降格してしまったのだろうか?

2000年のJリーグ wikiより
うわぁ~失点数がダントツ1位だ。
最下位の川崎より10多い・・守備がよろしくなかったようだ。
なおGKは、あの・・・

ドーハの悲劇の松永さんでした。
(30試合中15試合出場、もう一人のGKも15試合出場)
守備は一人でするものではないので、松永さんが悪い訳ではないが・・・
カズにとっては、何とも言えない皮肉な巡り合わせ。
なお松永さんは、この年限りで引退した。

こういう風に2人隣同士で撮れると嬉しい。

パクさんは今だったら絶対パクチーって言われてるはず。
2001年の名鑑ないんでこれは2002年の

今とイメージが違い過ぎるヤットさん。
5選手の京都在籍年数
カズ 1999 - 2000
パク 2000 - 2002
松井 2000 - 2004
遠藤 1999 -2000
松永 1997 - 2000
2013年にJ2落ちしたG大阪の遠藤とカズのフィールドで再会。
あと監督のゲルト・エンゲルスは、横浜フリューゲルスを最後に監督した人でした。

http://photozou.jp/photo/show/3001929/203541157
99年にGK松永さんが決めたゴールキックゴール動画を載せたかったけど見つからなかった。以前はあったのになぁ
最近の選手名鑑の情報量って凄いよね。個人的には色んな数値が載ってるサカダイ版が好み。

今見ると凄いの面子だ。
三浦知良・パク・チソン・遠藤保仁・松井大輔
カズ以外の3人は、まだ20歳ちょとの頃だった。
それでも3人とも結構試合に出ていた。
(00年の選手名鑑を持ってるけどパクは載ってなかった。途中加入だった?)
カズは17得点し、遠藤も5得点といい感じだが・・・
何故降格してしまったのだろうか?

2000年のJリーグ wikiより
うわぁ~失点数がダントツ1位だ。
最下位の川崎より10多い・・守備がよろしくなかったようだ。
なおGKは、あの・・・

ドーハの悲劇の松永さんでした。
(30試合中15試合出場、もう一人のGKも15試合出場)
守備は一人でするものではないので、松永さんが悪い訳ではないが・・・
カズにとっては、何とも言えない皮肉な巡り合わせ。
なお松永さんは、この年限りで引退した。

こういう風に2人隣同士で撮れると嬉しい。

パクさんは今だったら絶対パクチーって言われてるはず。
2001年の名鑑ないんでこれは2002年の

今とイメージが違い過ぎるヤットさん。
5選手の京都在籍年数
カズ 1999 - 2000
パク 2000 - 2002
松井 2000 - 2004
遠藤 1999 -2000
松永 1997 - 2000
2013年にJ2落ちしたG大阪の遠藤とカズのフィールドで再会。
試合前には遠藤と会話する姿も見られたが「久しぶりだったんでね。メンバー表に33歳って書いてあって、ちょうど自分が京都でプレーしていたときと同じ年齢だった。当時の遠藤は19歳とか、20歳かな。ちょうど、当時の僕の年になったのでね。遠藤が、ああやって頑張っているんでね。向こうも、そう思っているでしょうけど(笑)。ああやって頑張っているのは、うれしいですね」と、目を細めた。
http://web.gekisaka.jp/news/detail/?119675-124181-fl
あと監督のゲルト・エンゲルスは、横浜フリューゲルスを最後に監督した人でした。
で、思い出すのは遠藤さんの過去。
横浜Fからサテライトコーチ就任のオファーがあり、Jリーグ元年の1993年にコーチに就任した。監督が頻繁に代わる中、彼は一貫してコーチであり続け、1998年はヘッドコーチを務めていたが、10月に前任のカルロス・レシャックの辞任を受け監督に昇格。それからわずか1月後、横浜Fと横浜マリノスが合併し、クラブが事実上消滅することが発表された。動揺が走る中、チームは合併発表以降、リーグ戦、天皇杯のすべての試合に勝利した。
この間、エンゲルスはホームゲーム最終戦のスピーチで「誰でもいい、助けてくれ!」と叫んでアピールするなどクラブ消滅に対して最後まで闘い、天皇杯優勝後も「ドイツではカップ戦で優勝したチームには沢山の企業からスポンサーになりたいとオファーがある。カップ戦優勝チームが消滅するなんてドイツではあり得ない」と語り、日本サッカー界に警鐘を鳴らした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%B9

http://photozou.jp/photo/show/3001929/203541157
歴史って面白いですね。
高校卒業後の1998年に横浜フリューゲルスへ入団。当時の監督カルロス・レシャックから才能を見いだされ、リーグ開幕戦の横浜マリノス戦でいきなりプロデビューを果たし、8月1日の鹿島アントラーズ戦でプロ初得点を挙げ、1年目でリーグ戦16試合に出場するなど順調な滑り出しを果たした。
しかし、同年限りでクラブが消滅したため、手島和希、大島秀夫、辻本茂輝ら他の新人選手とともに1999年に京都パープルサンガへ移籍。当時のチームメイトには三浦知良、パク・チソン、松井大輔等がいた。京都ではレギュラーに定着するも2000年に京都がJ2へ降格したため、2001年にガンバ大阪へ完全移籍した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E4%BF%9D%E4%BB%81
99年にGK松永さんが決めたゴールキックゴール動画を載せたかったけど見つからなかった。以前はあったのになぁ
最近の選手名鑑の情報量って凄いよね。個人的には色んな数値が載ってるサカダイ版が好み。
コメント
コメント一覧 (6)
お久しぶりです!!
あの時代の京都懐かしいですね。
黒部が好きでしたね。
2000年はあまり活躍できませんでしたが、2001年はJ2ですが30得点決めてましたね。
次の2002年のJ1でも二桁とってますし、いい選手でしたね。
カズと同時期に京都に居た藤吉も好きでした。
そういえば、遠藤を見出した監督はいつだったかバルセロナに在籍していた記憶があります。
黒部は一時凄かったですよね~
ウイイレでも能力値が高かったのを覚えています。
藤吉も99年までいたんですか~
藤吉は顔的にベルディーのお笑い担当みたいに勝手に感じてました
その後、長く現役で頑張ってましたねぇ
レシャックのwiki見たら凄い人だったんですね!
13歳のメッシと契約した人だったんですね~
「彼は天才だ。紙ナプキンでも、なんでもいいからサインさせろ」
いや~歴史は面白い。
パク・チソンも京都を選んだ理由がカズの存在があったからみたいだし、一度生で観戦したいものです。
おお~そうだったんですか。wikiさっさと見ただけだから気づかんかった。
武田さんもそうだけど一見チャラく見えるけど、2人共サッカーに対する愛は凄い。
現在のカズを見るとそれ以上にサッカー愛が凄い。
パクさんが惹かれるわけです。
松井とカズがまたチームメイトになりました
あとは遠藤保がいれば・・・でも、まだまだガンバでやれるし無理かな。遠藤さんは元フリューゲルスだから2つの意味で感慨深い。