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<実名インポートデータの周知のデメリット>


私がインポートデータを適応したのは2017が初めてでした。その素晴らしさに発売前から感動し熱心に紹介しました。どうして無料データがあるのに検索上位は有料データなのか。しかも無料データの転用らしい。ということで、「有料データ販売者」(以下:転売者)の事を色々と書いたりもしました。ライセンス不足からウイイレからFIFAに移るのはいいのですが、無料データでの存在を知ってほしかった。「お金かかるんでしょう?」という書き込みやツイートを見ては、おかしな使命感にかられたのでした。

ウイイレのインポートデータの歴史は長い。ゆうに10年以上の歴史がある。私はその1年くらいをかすったに過ぎない。個人的には、こんな凄い共有機能なのに意外と、かつての自分のように使ってない人が多いんだなと思った。私も最初はインポートに少し苦戦したので、パソコン??な人にはハードルが高いものだったのだろう。

私にも原因があった、国産JリーグデータのKIT製作者さんたちが公開停止にいたったのにはショックを受けた。「職人」という呼ばれ方をされるが、日本古来の職人気質を何となく感じた。

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PCゲームにおけるMOD職人は、PCゲームユーザーの多くが「分かってる人」が多かったので「OFP」&昔の話になるが、職人とデーター使用者での軋轢は、さほど起きなかった。(あるにはあった)しかもユーザーの中での作成者率が高かった。ユーザーは少ないのに、作成者は多い傾向。

ウイイレは逆で、ユーザーが多いが(OFPに比べて)作成者率が低い。もっとお馬鹿なKIT画像が出回るかと思ってたけど全然見なかったな・・・

以前「情報が周知される責任はどう考えている?」とのコメントをもらい当時は、ネットに公開している性質上広まるのは致し方ないのでは?と理解できなかったが・・・(初めは有料データ販売者に知られたらどうする的なことを言ってるかと思った。とはいうものの一番データを欲している転売者が知らない訳ないだろうと??だった。)

今はコメントくれた方の真意が少し分かったような気がする。(*勘違いかもしれんが)
”分かる人”にだけ使ってほしい。との思いがあったのかもしれない。使用者が増えれば増えるだけ難癖つける人も少なからず現れる訳で・・・。それはウイイレよりユーザー数が圧倒的に少ないOFPでも見られたことだ。限定公開でも、それが起こったようなので・・・

公開する = 少なからず心外な事言われる確率が少なからず発生する。
周知される =
心外な事言われる確率アップ。

最終的には心の安定のため公開しなくなる。
(*勘違いかもしれませんが)


<戦国時代
と神データの呼称

戦国時代の事を色々見ていると、日本が多神教なのがよく分かる。色々なことに神や仏を持ち出してくる。それを知ると日本の風土としての「神データ」という呼称は悪くないなと思った。

ただし、自称する例はさほどない・・(
転売者のように)

データの恵みを分け与えられた人が言う分にはいいと思う。ただ現在は色々な国々の神への認識が知れわたっているので、何だかなぁと思う人が多いのも事実。こんなに神が多い国は日本くらいか?
龍が如く6 命の詩。 龍南神社__1
雨乞いし神に祈る。雨が降った。豊作。当初は感謝するも、しだいに雨の降り方に文句を言う。天に唾を吐く。その唾が自分に当たり。田畑が干上がった。雨乞いし神に祈る。他の神が現れ、雨が降った・・・そんなことが永遠に続くものだろうか・・・

そもそも倭国(ウイイレ)もいつまで存在するか分からない
清国(FIFA)に征服される可能性も十分ある。

ちなみに転売者はインチキ祈祷師で、金銭を募った上で祈祷し、雨が降ったら「ワシの力じゃ!」摂理を知らない人は、祈祷師に感謝する。

いきなり謎な文章を書いたのは
私は今、頭の中が戦国時代モードだからである。年表(史書の無い部分)の間の話を妄想し作文を書くようになってしまった。早いとこ自分の戦国ブームを集束させて、ゲームに戻りたいものである。

「ゴーストリコン」(OFPぽい)に「ホライゾン・ゼロ」(スクショ機能が凄い)とかWBC見てたらエディット顔がパワーアップする「MLB Show17」も欲しくなってきた。「信長の野望」は昔マジでハマったから、今手を出したら絶対ヤバそうだ・・・。短期間で飽きれるゲームって重要だなと思った。というか一点集中型の自分の性質が問題なのだが・・・


ちなみ②自分がウイイレ戦国時代の人物だとすると、たまに似顔絵描きしつつ世界中の神を言い伝えする乞食かな。

日本に仏教が定着すると、日本の神々も人間と同じく苦しみから逃れる事を願い、仏の救済を求め解脱を欲すると認識されるようになった。奈良時代初頭から神社において神宮寺が建立され始め
~中略~

奈良時代後半には、伊勢桑名郡の現地豪族の氏神である多度大神が、神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、神宮寺建立は地方にまで広がり、若狭国若狭彦大神や近江国奥津島大神など、他国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依する意思を示した。こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに神宮寺が建てられ、神前で読経がなされた。

日本神話wikiより

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