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1961-1973
◆エウゼビオクラブ/431 (423) 代表/64 (41)
黒 豹または黒い真珠の愛称で呼ばれた1960年代から1970年代を代表するフォワード。同時代にプレーしたペレとも並び称された選手で、現役通算727試 合に出場し715得点を記録した。ポルトガル代表通算64試合41得点。2005年にペドロ・パウレタに抜かれるまで代表最多得点記録だった。また、国際 サッカー歴史統計連盟(IFFHS)には20世紀で最も偉大な選手の9位に選ばれるなど、アフリカ大陸出身の最も偉大なサッカー選手とされている。


1975–1988
フェルナンド・ゴメス クラブ/432 (331) 代表/48 (13)
1974年にFCポルトでデビュー。スーペル・リーガ2連覇などに貢献をする。1980年にスポルティング・デ・ヒホンへ移籍、二年後には再び FCポルトへと戻り、1989年まで同クラブでプレー。ポルトガル最優秀選手や2度のヨーロッパ・ゴールデンシューに選ばれた。チームとしても 1986-87シーズンにUEFAチャンピオンズカップ、UEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップなどの国際タイトルを獲得したほか、多く のタイトルを獲得した。その後、同じくポルトガルの強豪クラブであるスポルティング・リスボンへ移籍し、2年後に引退した。

またポルトガル代表としても48試合に出場し、UEFA欧州選手権1984、1986 FIFAワールドカップにも招集された。
同じくポルトガル代表FWヌーノ・ゴメスのニックネームである「ゴメス」は、彼にちなんでつけられた。


1997-2006
パウレタ クラブ/449 (226) 代表/88 (47)
プ ロサッカー選手として18年間プレーしたが、ポルトガルのスーペル・リーガ(1部)では一度もプレーしたことがない。経歴のほとんどをスペインとフランス で過ごし、リーグ・アンでは得点王に3度輝いた。ポルトガル代表としては88試合に出場し47得点を挙げている。FIFAワールドカップとUEFA欧州選 手権に2度ずつ出場した。


1996-2011
ヌーノ・ゴメス クラブ/463 (158) 代表/79 (29)
美形選手として知られ、ポルトガルでは女性だけでなくゲイからも人気がある(ユーロ04の時のゲイサイトでの人気投票はクリスティアー ノ・ロナウドに次いでの2位だった。)。日本を含めた国外でも知られている。国内限定でマクドナルドやアディダスなどのCMに出演していたり、時々サッ カーに関係ないテレビ番組のゲストとしても出演していたりしている。男女問わずファンにはとても親切で、マスコミにも誠意を持って受け答えしている。


2009-2010
リエジソン クラブ/312 (162) 代表/14 (4)
スポルティングCPで得点王に輝く活躍を見せてもブラジル代表には招集されずにいた。2006年のペドロ・パウレタの引退後、ポルトガル代 表は絶対的なストライカー不在に悩まされており、ポルトガル国民はスポルティングで安定した成績を残していたリエジソンのポルトガル代表入りを期待した。 本人もポルトガル代表招集に興味を示しており、ポルトガル在住が6年になる2009年7月から国籍取得の申請を行った[9]。ポルトガル国籍の取得が完了 すると、2009年8月26日、カルロス・ケイロス監督によってポルトガル代表に初招集され、MFデコ、DFペペらに次ぐ5人目のブラジル出身ポルトガル 代表選手となった。


2004-
ウーゴ・アルメイダ クラブ/340 (116 ) 代表/57 (19)
往年の典型的な英国人ストライカーのように長身と体格の良さから空中戦に強く、また、左足から強力なシュートを放つ。ブンデスリーガ・ハノーファー96所属。

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日本同様、ストライカーが不足がちのポルトガル。(レベル違いますが・・)
最後の2名は、代表的な選手とは、違うけど個性ある選手で好きだ。
ウーゴ・アルメイダみたいな決定力が、微妙なパワー系が好きだったりする。
ベントナーとかアンディ・キャロルみたいな選手が、Jリーグに来て
上手くハマったら大爆発するかなとか妄想してしまう。
(*エムボマもそのタイプかな・・海外クラブでは微妙だったな~)

来年は、ここにポスティガが入る。年々モンタ対象が増えるなぁ・・・少し選抜しないと

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